2011年2月28日月曜日

2/25

ライブハウス「UHU」にて、
久々に企画「日本のうた」を行いました。

いやー、楽しかったです。

例えば民謡やクラシックや、(一部の)ジャズなどの奏者は、
過去の作品をそれぞれの解釈で演奏して、
その善し悪しで音楽的価値を測られ、
すぐれた人は実際それで生活をしていたりします。

もちろんオリジナルソングを披露して、
それを好きな人が集まってくる、というのも素晴らしいことです。
新しい歌が生まれることで音楽は進んでいきます。

しかし音楽家は、やはり脈々と続いている歴史の一部であって、
それを省いた上に「自分のうた」などというものは存在しません。

本当は、伝承9、自作1というぐらいのことが、
古来からの音楽家のあり方だったと、
すぐれた音楽家について見たり読んだりして思うのです。


今回は、ポップスから、フォーク、ロック、
唱歌、民謡、CMソング、アニメソングまで、
それぞれの解釈の「日本のうた」が飛び出しました。

僕は、

ティクテングヮ(奄美民謡)
蘇州夜曲(李香蘭)
誕生(中島みゆき) 
あなたが美しいのは(小椋佳)withポッキー
サボテンの花(チューリップ)withアオケン
見上げてごらん夜の星を(坂本九)withアオケン

という感じでやりました。
皆さんにとっての「日本のうた」は何ですか?

2011年2月23日水曜日

2/23

さて、また新しい演奏などに向かわなくてはなりませんが、
その前に、北陸での印象的な場面をいくつか…。

■昭和歌謡 みっちー

DNAに新しい仲間が参入しました。三井浩四郎さん。
高齢者施設などでアコーディオン片手に、
昭和初期の歌謡曲をうたっている方です。

「天然」という言葉がそのままぴたりとはまる、
真面目にやっている姿ほど、うっかり笑ってしまうような、
すてきなエンターテイナーでした。

師事した歌の先生が歌謡曲の歌い手だったことから、
30代前半にも関わらず、当時のレコードから流れてくる、
歌謡曲そのままの声をしておられます。

演奏中、いきなり天国から「淡谷のりこ先生」が降りてきて、
アカペラで「別れのブルース」を熱唱し、帰っていきました。
その別れのブルースは、僕の心にしみじみと感動を与えました。


■スピーカーとは何か

まったく酔っ払いとは恐ろしいもので、
時々愚にもつかないことでいつまでも遊んでいるものです。

ツアー3日目、僕ら3人は大分疲労がたまっており、
早めに寝ようと部屋に帰りましたが、

Chujiが「iphone」(携帯のスピーカー)で音楽をかけだし、
それを「鍋」に入れると拡声器などの原理と同じように、
音が増幅されてよく聞こえることを発見したので、
3人の興味に火がついてしまい、

「これはどう?いや、これは?」
などと、そのまま2時間、身の回りにあるもので、
即席スピーカーを作る遊びで盛り上がってしまいました。

音楽ジャンルを変えて、アルミホイルや、紙、プラスチックなど、
色々な材質を色々な形状で試しましたが、

結果、一番バランスよく鳴ったのは「鍋」。
ジャンルを選ぶが、ウォームな音がする「釜めしの空き陶器」。
エレクトロニカに絶大な威力の「試験管」。
意外なコストパフォーマンス「ペットボトルのふた」。

というような、研究結果が出ました。
部屋に「木」の器がなくそれを試せなかったのは残念であります。

皆さんも、携帯で音楽を聴くときには、
身の回りにあるものでスピーカーが作れますよ。是非お試しを。
え?専用のを持ってる?風情がありませんね。


■ギターを鍛える

ギターは言うまでもなく「木」でできています。

まだ丸太の材料のころには、吹きっさらしで雨にあて、
外にそのまま置いておくのだそうです。

すると周りは割れたり、汚くなったりするのですが、
製材するといい材になります。それを「木を鍛える」というそうです。

しかし、ギターになった後もまだ鍛えている人がいる。
と制作家である友人が嘆いていました。

直射日光に当てたり、裸で急に寒い所へ出したり、
酒を飲ませたり、一緒に川で泳いだり、
そうして鍛えるといい音になると信じている人がいるそうです。

それで「壊れちゃった。」と持ってこられても困る。ということです。

うむむ、自分も結構鍛えてたなあ、と反省しました。
酒はさすがに飲ませませんが。

2011年2月22日火曜日

2/22



















毎回思うのですが、本当に石川県は人があたたかい。

もし静岡から追い出されたら石川県に住みたい。
と思ってしまうほど、なんだかいつも行くたび、
「帰ってきた」ような気がするところです。

皆さん心から待っていてくれるのです。

名古屋も集客こそ少なかったものの、
マスターはじめ、楽しんでくださり、
ミュージシャン冥利に尽きるライブでした。


石川
Honkey House
DNA rock cafe
Rock&cafe Clapton

名古屋
Soundcafe&bar 芽育


今回は青田ケンイチ、Chujiとの珍道中でしたが、
いったい何が科学反応するのか、
本当に4日間笑ってばかりの旅でありました。

また才能あふれる2人を、いろいろな場所で紹介でき、
それがいい縁であったことも言いえぬ満足感となっています。

本当にやっていきたい音楽は何だろうか。
いろいろな人間関係や体験を受けて自分が表現すべきことは何か。
その中における自分の役割はいったい何なのだろうか。

わかるようで、わからないことがたくさんあります。

所詮、僕たちは音楽の民であります。
ただ単にビジネスとして売りたいだけなら、
ほかの仕事をしているでしょう。

演奏がうまくいった時や、高いバックがとれた時なども、
もちろん嬉しいですが、音楽を通じた素敵な友人や、
それによって生まれる人間的な付き合いこそが、
自分たちの本当の仕事の証であることのように思える時があります。

2/21

ただいまー。
石川、名古屋と回って帰ってきました。

今回は静岡の雄、
アオケン&Chujiと一緒に2組で行ってきました。

もう4日間しゃべりづめの笑いづめで、
演奏しに行ったやら、遊びに行ったやらわかりませんが、
素敵な出会いと、新しい発見に恵まれたツアーになりました。

またゆっくりと報告します。

おやすみなさいZzz・・・


 

2011年2月18日金曜日

2/17

しとしと雨が降り始めました。
今年は厳冬でしたが、今宵の雨は暖かくなんだか安心します。

氷溶け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空 
今日も昨日も 雪の空

今日は、月一レギュラーの「フォークテラス海風」での演奏でした。

先述の「あの頃コンサート」が終わってすぐでしたので、
ちょっと疲れた感じもしなくはなかったのですが…、
いいライブができました。

かねてから、ギターソロではずっとやっていた、
「Moon River」を今日初めて歌付きで披露しました。

僕はなぜだかわからないけれどもMoon Riverが大好きで、
いつか歌いたいと思っていたのです。

それができただけで満足です(笑)

明日から、北陸に行ってきます。
素敵な雪景色と、おいしい食べ物が待っています。
帰ってきたらまたゆっくり報告します。


Moon river,wider than a mile
(1マイルより広大なムーンリバー)
I'm crossing you in style some day
(私はいつかあなたをクールに越えるわ)
Oh,dream maker,you heart breaker
(おお、夢を追うあなたは心を傷付ける人)
Wherever you're goin',I'm goin' your way
(あなたが何処へ行こうとも私はあなたの道に付いて行く)

Two drifters,off to see the world
(世の中へと旅立つ2人の流れ者)
There's such a lot of world to see
(見なければならないような多くの世界がある)
We're after the same rainbow's end,waitin''round the bend
(私達は同じ虹の後に虹の端で待っている)
My huckleberry friend,Moon river,and me
(ハクルベリーの友人、月の川、そして私)

2011年2月16日水曜日

2/16

壊れたギターを、知り合いの力強いクラフトマンのところに、
持って行ったところ、快く修理を引き受けてくださいました。

一安心です。
しばらくは、ガットギター1本でライブを行うことになりそうです。


しかしギターが壊れて、ふと何か自分の中で、
新しい気持ちにも、出会うことができました。

今まで僕は、オリジナルソングを作る傍ら、
フォークソングや昭和歌謡を練習したり、

ポップスのバックで演奏をし、その合間に、
アウトスケールとは何かを勉強したり、

ジャズのセッションに顔をだしては、
その足で温泉に慰問に行き、演歌や童謡唱歌を爪弾いたりと、
何とも雑多な活動をしてきました。

しかし自分はいったい、音楽という名のもとに何をしてきただろう。
1本のギターに自分の全体をこめるように、
演奏してこられただろうか?とふと考えました。

(誤解を恐れずに『表現』という言葉を使うならば)これからは、
「本当に自分が表現すべきこと」を探さなくてはならないと思います。

以前にも人から似たような言葉をかけられたことがありましたが、
もちろんジャンルを絞るなどという狭い意味のことではありません。

多くの偉大な演奏家(芸術家)たちは、
その道において、素直にまっすぐであるように見受けられます。

大学の時に僕がお世話になった先生は、
「愚直」という言葉を大切にしていました。

ギターの指板のどこかに、自分だけの「コード」が、
ひそかに眠っているとしたら、僕は愚かにもそれをひたすらに、
掘り起こす努力をしなくてはならないでしょうか。

いささか、観念上の話ではありますが、
何となくそんなことをも思い起こさせられた出来事でありました。

2011年2月15日火曜日

2/15

ツアーを前にして…、
またしてもギター(TACOMA)の板が割れてしまいました。

管理が悪いと言われればそれまでですが、
演奏のためには、車や電車で遠くまで運んだり、
時には急に寒い所へ出したり、暖かいところへ持ち込んだり、
過酷に連れまわさなくてはならないのです。

そういうことを加味しても以前から、
なぜかいろんなところが壊れやすいギターでした。

とりあえず修理に出して、様子を見ます。
ひょっとしたらぼちぼち寿命なのかも知れません。

ほんとうに気に入っていて、マーチンや、ギブソンといった、
いわゆる大手の高~いギターを弾いても、どれ一つ、
自分のよりもいいなあと思えるものはなかったのですが…。

う~む。

しかし、メインで使えるギターが、
借り物のガットギターだけになってしまったのには、
ほとほと困ってしまいます。

このギターが新しい音源を作るのにどうしても必要で、
やっと創作に気持ちが乗ってきたと思った矢先にこれです。

何事も思うようにはいかないものです。

最近なぜかうまくいかないことが多く、
少しく焦ったりしてしまいます。

修理がうまくいくことを望みます。

2011年2月14日月曜日

2/13

「あの頃フォークソングコンサート final」は、
おおむね盛況のうちに幕を閉じました。

改めて「広報」の宣伝力や、
「あの頃」という言葉のもつ力強さを感じました。

もちろん、地域のみなさんがどれほど、
楽しみを求めているかということもです。















あの頃コンサートは3部作ということで、今回で終了です。
僕はやはり第1回の時に感じたお客さんの迫力が忘れられません。

演奏をはじめた瞬間に、何かエネルギーのようなものが、
客席から湧き出るのをまざまざと感じて、
一瞬よろめきそうになったのを思い出します。

今回のセットリストは、

 あの素晴らしい愛をもう一度
 ケンとメリー
 岬めぐり
 加茂の流れに
 ささやかなこの人生
 川の流れのように
 青春の輝き
 サウンド・オブ・サイレンス
 卒業写真
 あの日に帰りたい
 祈り
 グリーン・スリーブス
 北街道の歌
 酒と涙と男と女
 悲しみは雪のように
 案山子
 サボテンの花
 出発の歌 

来てくださった皆さん。楽しんでいただけましたでしょうか?

僕は、3部作全体を通して、
沢山の人に前向きな感情を持っていただけるような、
いいコンサートになったと思います。

スタッフの皆さんとも、より素敵な関係を作ることができました。

ただ、今回一部アンケートの中に、
「クオリティが低い」「自己満足だ」などという厳しいお言葉もありました。

実際、入場料0円のコンサートに、
どれほどのクオリティを求めていらっしゃるのだろう、
という疑問がふとわかないこともないのですが、

舞台に立つ人と、お客さんとが心で歩み寄って、
お互いにその場で起こっていることを最大限に楽しむ、
ということが大切だと思います。

しかし、その歩みよりを促していくのは、
こちら「アクター」の仕事ではなかっただろうか。

という風に思うのです。

もちろん、ミュージシャンとしては、
最大限皆さんに楽しんでいただけるような演奏に向かって、
より一層努力していく決意を新たにしております。

2011年2月13日日曜日

2/11

アオケン、chujiとのライブは無事終了しました。
いろいろなことを考えされられるライブだったと思います。

実際とっても楽しいイベントになりました。















多くのミュージシャンは別に、必ずしも、
音楽的に好きなものが似てるから、
付き合っているというわけではありません。

だから「なんでまるけんがOKしたのか?」
というアオケンの質問には答えられません(^^;)

結局何か、向こう側にあるものしか見ていなかった自分に、
気がついたりもします。

音楽の善し悪しなんて、何を基準に判断したらいいのか、
最近ますますわからなくなってきました。

今回は素晴らしいライブと楽しいトークをして、
お客さんを楽しませることができました。

しかし、どこかに何かを忘れて来たような、
そんな気も同時にしたりすることがあるのです。

2011年2月11日金曜日

2/10

このところ演奏が立て込んでいて、数日間は山です。

明日は午前中、ちょっとした企画もののジャズバンドで、
「A列車で行こう」とか「TAKE 5」などを爪弾いたのち、

夜はいよいよアオケンとのイベント、
「Live in the prism」が行われます。

まだお席には若干の(?)余裕がございます。
みんな遊びに来てね。

■2/11(金)solo
静岡市清水区 オルタナティブスペース「スノドカフェ」
イベント「Live in the prism vol.1」
出演 青田ケンイチ 丸山研二郎 Chuji
open 19:00 start 20:00 ¥2000 +ドリンク代


今日は打ち合わせ兼、練習をしました。

ベースのChuji氏とは実は大学の同級生であり、
もう10年近くの知り合いでありながら、
実際合わせるのは今回が初めてです。

とにかくジャズからロックまでなんでもこなす、すご腕であります。

「一緒にご飯食べるのも初めてだよね。」
などとかわいいことを言いながら食事までしてしまいました(笑)

中華料理屋で、音楽談義をするおっさん二人でありました。

2011年2月8日火曜日

2/8

立春を過ぎ、少し暖かくなりました。

うちのアパートの軒下には、
羽虫の群が、もう飛んでいました。

なんだかくるくると浮かれているようにも見えます。

夕暮れはまるで春霞です。


春になれば体は楽になりますが、季節の変わり目にはいつも、
何となく嬉しいようなもったいないような、そんな気持ちがします。

このところハードスケジュールもあってか、
少し疲れが取れないようです。

たまには、飲みにでも出てみることにしましょうか。

春の頃は、羽虫も人間も、心の底にある、
切なさのようなものでつながっている。

と寺山修司あたりがいったような(いわないですね)。

2011年2月7日月曜日

2/6

さていよいよ「あの頃フォークソングコンサート」が近くなってきました。
本格的な練習もそろそろ大詰めです。

ツアーから帰ってきて休む暇なく、
ほとんど直接練習に行って、打ち合わせをして、という感じなので、
さすがに体力の衰えを感じていますが…。

今回は大胆にも300人のホールで、
センターステージを強行しようという試みであります。












ところで、今回やはり初めての試みとして、
スタッフ総出演の懐メロメドレーというものが企画されています。

メドレー自体はどこでもよくありますが、テンポや調の違う曲が、
沢山組み合わさったりすると、意外に演奏する方は難しいのです。

1曲をそのまま演奏することとはまた違った技術が、
要求されるようです。

楽譜を制作してくれた共演の荒井御大、ありがとうございます(^^)

2011年2月5日土曜日

2/6

京阪神で演奏したお店は、
どこも全くタイプが違い面白い経験でした。

ハードなライブハウス。
蔵。
ライブ・バー。
焼酎バー。

などなど。

焼酎バー「よかにせ」のマスターは大阪生まれですが、
もとは奄美大島の血だそうです。

以前奄美に行ったとき、偶然、自分の親戚に、
感動的な再会を果たした話をしてくれました。

なるほど、自分のふるさとというのは誰しも気になるものです。


今回祖母の家に行った時、面白い話を聞きました。
祖母も気になっていながら調べはしていなかったそうですが、

祖母のさらに母方のうちは、昔は「佐々木」といって、
御所専門の刀鍛冶で、「宇多 近江乃介 かねしげ」(字は不明)
という名前を下賜されたそうです。

何となく調べてみると、
「近江国を発祥の地とする宇多源氏の一流である、佐々木氏」
というのがあるそうで、まあ関係があるかどうかは知りませんが、
武士の家系ということにでもなるのでしょうか?

そういえば、僕の父の方では、
「うちは平家の血だよ。」と言われた記憶があります。
歴史から見れば、面白い話ですね。

太陽の塔

僕は、ずっと太陽が動くと思っていました。
しかしそこには40年もじっと立っている 巨大な塔があるだけでした。

こちらもしばらく、じっと座って眺めたのち、
お別れを言って立ち去りました。

帰り際、何度も振り返ってみましたが、
やはり、何か巨大なものがぴくりとも動かずに立っていました。

公園の出口で、2羽のつがいの鳩が飛び去っていきました。


3日後。

夜中に大阪を出るとき、ちょうど万博公園の脇から高速に乗ったので、
公園のほうを見やると、一瞬、暗闇の中に太陽の塔が見えました。

街明かりに照らされて佇んでいる塔に、
ふっと何か、人格のようなものを感じましたが、

その感慨は、高速道路のスピードとともに消えていきました。

やはり岡本太郎はすばらしい芸術家だったと思います。

2011年2月4日金曜日

2/4

大阪の海は悲しい色だったかどうか。

大阪の海も、沖縄の海も、奄美大島の海も、
見方によって悲しい色をしていたように思います。

大阪・神戸・京都にて、大切な仲間が増えそうな予感がし、
いろいろタイプの違う箱(会場)、共演者と触れ合うことができ、
自分について新しく気がついたこともたくさんありました。


京都に祖母が住んでいるので、途中寄りました。
祖母はもう106歳になります。

もうずっと横になっていますが、
頭ははっきりしており、しっかり話ができます。

それでももう、いつ何時、何があってもおかしくない歳ですので、
やはり機会のある時には必ず会っておきたいのです。

自分のおばあちゃんながら感動したことには、

こないだ初めて会う人が家に来た時、
自分は何か考え事をしていて、ふっとその人に笑顔が作れなかった。
とても悪いことをしたように思って、やはり人は笑顔が大切だと思い、

「これからそういう自分の悪いところを直していこう思てんねん。」

と、106歳の人に言われた時には、
話しながら何だか涙が出てしまいました。

それでいて「もう何ヶ月も生きんかもしれんなあ。」などと言いながら、
親戚の事情などを自分の事のように心配する姿に心を打たれました。


いつまでも一緒にいたいですが、離れて暮らしていれば、
忙しく、つい忘れてしまいがちです。

しかし僕の親戚たちよ。
たまにはおばあちゃん(ひいおばあちゃん)に会いに行きなさい。

すっかり会いに来ない親戚一同に僕は真剣に怒っています。
やさしさの恩を忘れるものを僕は許さない。