2011年2月16日水曜日

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壊れたギターを、知り合いの力強いクラフトマンのところに、
持って行ったところ、快く修理を引き受けてくださいました。

一安心です。
しばらくは、ガットギター1本でライブを行うことになりそうです。


しかしギターが壊れて、ふと何か自分の中で、
新しい気持ちにも、出会うことができました。

今まで僕は、オリジナルソングを作る傍ら、
フォークソングや昭和歌謡を練習したり、

ポップスのバックで演奏をし、その合間に、
アウトスケールとは何かを勉強したり、

ジャズのセッションに顔をだしては、
その足で温泉に慰問に行き、演歌や童謡唱歌を爪弾いたりと、
何とも雑多な活動をしてきました。

しかし自分はいったい、音楽という名のもとに何をしてきただろう。
1本のギターに自分の全体をこめるように、
演奏してこられただろうか?とふと考えました。

(誤解を恐れずに『表現』という言葉を使うならば)これからは、
「本当に自分が表現すべきこと」を探さなくてはならないと思います。

以前にも人から似たような言葉をかけられたことがありましたが、
もちろんジャンルを絞るなどという狭い意味のことではありません。

多くの偉大な演奏家(芸術家)たちは、
その道において、素直にまっすぐであるように見受けられます。

大学の時に僕がお世話になった先生は、
「愚直」という言葉を大切にしていました。

ギターの指板のどこかに、自分だけの「コード」が、
ひそかに眠っているとしたら、僕は愚かにもそれをひたすらに、
掘り起こす努力をしなくてはならないでしょうか。

いささか、観念上の話ではありますが、
何となくそんなことをも思い起こさせられた出来事でありました。

2 コメント:

シンヤ さんのコメント...

 形あるものはいつか壊れ、人は死に、それが運命ならば輪廻の果てにきっとまた巡り会える。

 ツアー、気をつけていい演奏をして来ておくれな。

 無事の帰りを待ってるよ。

まるけん さんのコメント...

シンヤさん

ありがとうございます。
がんばってきます。

生き死にも、会う会わないも、
僕らが考えている世界とはまた別のところにあるのかも。