2011年4月14日木曜日

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最近「音律(音のチューニングの仕方)」というものがどのように、
出来上がってきたかという記事を読んで少し興味を持ちました。

今までは、いわゆる民族音楽の世界は別として、
「平均律と純正律というものがあるだ。」
というぐらいの知識しかありませんでした。

しかし世界には膨大な数の調律の仕方があるそうです。
(1オクターブをどのような比率で分割するかということ。)

ピアノ等の楽器が大量生産されるようになると、
画一的な調律が必要になり、今のような、
どの調を弾いても同じ比率でドレミが進行する、
「平均律」が世の中を席捲しました。

そうなると、調の違いやチューニングの違いによる、
音の色彩が感じられなくなってしまい、
音楽が急につまらなくなってしまうそうです。

そのために現代の音楽はいろいろな楽器を使ったり、
奇抜な発想をして、その寂しさを埋めようとしてるところがある。
ということです。ほんとかな?

その平均律の縛りから音楽を自由にしようと、
世界では様々な調律の研究がなされているというので、
その方面の研究家・ミュージシャンの音源などを、
最近ちょっと聴いてみたりしていますが、

多くは、その「調律」というようなことにとらわれて、
実験音楽の域を脱していず、やっぱり音楽の「本質」とは、
そんなに関係がないことなのかもしれないなあ、と思って、
あるピアノ作品を聴いてみると、おや。素晴らしい演奏だ。

演奏者を見ると「キース・ジャレット」と書いてありました。
やはりいい演奏をするという前提の上に成り立つ議論のようです。

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