草原から帰って数日は、ウランバートルで、買い物をしたり、カフェをはしごしたり、知り合いのモンゴルの人と交流したりしていました。
僕はよく人にモンゴル語で話しかけられました。普通に道をきかれたり…。何となく態度が現地化するので、現地の人に見えるのでしょうか?
7、モンゴル人の面白い習慣
モンゴルの人は、肩がぶつかっても謝りもしないが、人の足をふんづけた時だけは非常に礼儀正しい。古い言い伝えか何かから来ているらしく、足をふんづけると喧嘩にならないよう、お互いに験担ぎの握手をするのであります。
一度は僕がおばちゃんの足をうっかりふんづけ、一度は、お兄ちゃんに足をふんづけられましたが、どんな場合でも向こうから握手を求めてくるのであります。
道端でいきなり知らない人と握手をする。向こうはどう思ってそうしているのか知りませんが、心温まる風習でありました。
8、馬頭琴の人間国宝
最後の2日間僕たちが泊らせてもらったホテルは、馬頭琴(モリン・ホール)の人間国宝級の演奏者「ツェレンドルジ」さんの息子さんが経営しているホテルでした。正月には国営放送で彼の演奏が流れ、それとともに年を越すのだという話です。
そんな名のある奏者の演奏を聴くことができました。
息子さんのソヨルさんと2人のミニコンサート。馬頭琴や口琴の演奏、ツェレンドルジさんは「賛歌」、いわゆる褒め歌の達人で、年季の入った何とも深みのある声と、重厚な擦弦の響きに僕はただちに酔ってしまったのであります。
彼らは、よく日本にも公演に来ているらしく、ソヨルさんは最近習っているという津軽三味線も披露してくれました。三味線のご先祖はこちら大陸の楽器なので、似たような弾き方のものはあるとはいえ、まさに「センス」という言葉は、こういう人たちのためにあるものだと思いました。
本当に素晴らしい演奏でした。
と、同時に、彼らはあくまで都市ウランバートルに住む、一流の演奏家なのだと気付きました。
遊牧民や、自然の厳しい郊外の田舎町に住む人たちの心は、一体どんな音を紡いでいるのだろうと考えると、もうやはり、どこまでも広い大陸のあちこちでついたり消えたりしている、人間の命の音に思いを馳せずにはいられないのです。
ゲルに泊ったとき、遊牧民の少女が遠くで、長唄をうたっているのを聴きました。
こんなに素晴らしい歌がこの世にあっただろうか。
いつまでも聴いていたかったのですが、行ってしまいました。
9、モンゴルともお別れ
ああ、何だか書いていてさびしくなってきました。いくつかの外国に行きましたが、こんなに帰ってすぐにまた行きたくなる国は初めてです。
ある夜、お義姉ちゃんの友達のトゥブシェくんがウランバートルの高台に夜景を見に連れて行ってくれました。
ボグド・ハン(モンゴルのかつての高僧)のまつられている、草原と針葉樹の山がすぐ南にあって、きれいな月がかかっていました。月明かりに照り映えた山を見て、「私はこっちのほうが好きだな。」と、トゥブシェはつぶやきました。僕もそう思っていました。
彼曰く、ウランバートルは急激に先進国から新しい物が入ってきて、皆の心や道徳がそれに追いつく前に都市化してしまった。だから都市の人々の心は物をもてあまして、荒んで来つつある。
でも、なぜチンギス・ハンが、あのような大帝国を率いることができたのか、それは彼が人の宗教や、風習に寛容で、街の中にいろいろな文化を共存させることに成功したからである。
その根底には、モンゴルに古くから伝わるシャーマニズムという考え方があって、その思想が、宗教や、文化を越えて、モンゴルの人々を今でもつないでいるのだ、ということでした。
しかし彼らが、享受している沢山の物の多くを作っているのは、僕たち日本人や先進国の人間なのです。
僕たちが僕たちの生活をよくするために作っているものが、違う国では、悩みの種になっていたりもします。本当の意味で彼らとつながっていくためにはどうしたらいいのでしょうか。
僕たちの文化の根底に脈々と流れているもの、トゥブシェは簡単に表現したけれど、僕は日本人として僕たちのそれを答えることができませんでした。
僕たちの心に流れているもの。
「私はこっちのほうが好きだな。」と言ったトゥブシェに、「俺もそうなんだよ。」って答えたかどうか忘れてしまいました。
ま、いいか。そのあと彼は、うちのお義姉ちゃんを一生懸命口説いていました。
センチメンタルになったところで、旅行レポートを終えようかと思います。ちょっとだけ書くつもりが、こんなにいくつも長い文章になってしまいました。
陳腐な表現だけど、何か大切なことを教わった気がします。
ありがとうモンゴル。また必ず行くからね~。
バヤルタイ。