このブログにはたびたび登場する、俳優「中山一朗」さんが、前に縁あって東京まで観に行った二人芝居を静岡で再演するというので、また観に行きました。
「この道はいつか来た道」という作品で、
ホスピスを逃げ出し、路上生活者となった末期のがん患者の男女ふたりが、道で「偶然」に出会い、親しくなり結婚をする、そしてお互い去って行って、また「偶然」に出会い、同じように親しくなり結婚をする、ということを繰り返している。
そんなふたりの会話の中から、少しずつ生への感覚、死への感覚が垣間見えていく、という話。
狭い空間で少人数のお客さんに対しての、二人芝居です。
終わった後に中山さんの提案で、大島渚監督追悼と称し、映画「愛のコリーダ」を観よう、ということになりました。
知る人ぞ知る映画ですが、「阿部定(あべさだ)」事件のノンフィクションですね。
多少言葉を選ぶ話になるので、知らない人は調べてください。
日本版では、表現に規制がかかってしまって、話の一番肝心な部分がぼやかされてしまっています。今回は、規制なしの海外版を観ました。
なかなか強烈な表現を覚悟して観たのですが、これが、思った以上に艶めかしく美しい映像、そしていわゆる愛、欲望のあり方について、いろいろなことを突きつけられるような映画でした。
奇しくも芝居、映画、を通じて男女の愛情、関わりのあり方について考える機会になったのですが、どちらの作品も、生死について、愛慾について、包み隠さずまっすぐに表現されていました。
そういった、一見グロテスクな感情、不気味に見える人間の性の中に、何か根本的な「美」のようなものを感じることがあります。
もちろん音楽の中にもそれはあり、ただ単に何でもいいから暴露するということとは全然違って、表現方法は多々あれど、どれほど自分の中の純粋な感覚に迫れるかということと大きく関わっているような感じがしたのであります。
とても意義のある、濃密な時間を過ごすことができました。
「この道はいつか来た道」という作品で、
ホスピスを逃げ出し、路上生活者となった末期のがん患者の男女ふたりが、道で「偶然」に出会い、親しくなり結婚をする、そしてお互い去って行って、また「偶然」に出会い、同じように親しくなり結婚をする、ということを繰り返している。
そんなふたりの会話の中から、少しずつ生への感覚、死への感覚が垣間見えていく、という話。
狭い空間で少人数のお客さんに対しての、二人芝居です。
終わった後に中山さんの提案で、大島渚監督追悼と称し、映画「愛のコリーダ」を観よう、ということになりました。
知る人ぞ知る映画ですが、「阿部定(あべさだ)」事件のノンフィクションですね。
多少言葉を選ぶ話になるので、知らない人は調べてください。
日本版では、表現に規制がかかってしまって、話の一番肝心な部分がぼやかされてしまっています。今回は、規制なしの海外版を観ました。
なかなか強烈な表現を覚悟して観たのですが、これが、思った以上に艶めかしく美しい映像、そしていわゆる愛、欲望のあり方について、いろいろなことを突きつけられるような映画でした。
奇しくも芝居、映画、を通じて男女の愛情、関わりのあり方について考える機会になったのですが、どちらの作品も、生死について、愛慾について、包み隠さずまっすぐに表現されていました。
そういった、一見グロテスクな感情、不気味に見える人間の性の中に、何か根本的な「美」のようなものを感じることがあります。
もちろん音楽の中にもそれはあり、ただ単に何でもいいから暴露するということとは全然違って、表現方法は多々あれど、どれほど自分の中の純粋な感覚に迫れるかということと大きく関わっているような感じがしたのであります。
とても意義のある、濃密な時間を過ごすことができました。
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