2010年8月30日月曜日

8/30

作曲がのってきましたので、なかなか面白い曲ができています。

最近、いろいろなモチーフを元に曲を作っていますが、
「林道」の曲を仕上げました。あとは、
 ■egretta alba(ダイサギ)
 ■螺鈿
 ■夕暮れ~夜
が目標としては残っています。

制作途中で方向が逸れれば、それはそれでよし。
でも画材を意識して、その輪郭、意義を曲に投影する練習です。


今日は、三島の「クレマチスの丘」にある、「ビュフェ美術館」に行きました。
直線と虚無、実存と表現。
新具象派といわれる、存在の画家だそうです。

多くは暗く、切なさを感じます。いくつか風景画などは好きなものがありました。

彼のインタビュー集には、
ピカソに関してのコメントを求められ、ピカソの作品のある部分に対して、
「あんなもの作るぐらいなら、釣りにでも行ってたほうがましだったのに。」
という発言があり、笑ってしまいましたが、

なるほど多くの芸術家が、その域を脱していない作品を「発表」していることに、
身につまされる思いがしました。

みんな釣りにでも行きましょうか。。

2010年8月29日日曜日

8/29

かねてから「武満徹」の、「小さな空」という曲を歌いたかったのですが、
初めてコピーしてみました。

つのだたかしのリュートの伴奏のバージョンを、ギターにちょっといただきました。
いかん、歌いながら泣いてしまうので、しばらくライブでは出来ません(笑)


日本語は、日本語らしく歌われるべきだと思います。

「夏の思い出」などの作曲家の中田喜直は、
なるべく日本語のイントネーションからメロディーがかけ離れないように作曲したそうです。
(関西では、違うメロディーになったりして。)

言葉を途中でぶちぶち切ってしまうのも、それが効果的でなければ、よくないと思います。

「つぼみを あげよう にわのはー   なみずき」

ある歌手が、はなみずきの「は」と「な」の間でおもいっきり息継ぎをしてましたが、
普通にしゃべる時はそうはしないですね。

それに「たちつてと」の発声が「つぁ」「つぃ」「とぅ」「つぇ」「つぉ」みたいになる歌手は心から…、
いや、言い過ぎました。

考察

最近は、日の落ちるのも段々と早くなりました。
月がとても綺麗でしたよ。

真綿を薄く張ったような雲に、山吹色の月です(若干、古臭い形容ですが…)。

いや、なぜそういう言葉を使うかというと、最近の流行り歌の歌詞の問題について、
バイクにのりながら考えていたのです。

活字離れや、パソコンや携帯の普及などによる、語彙力の低下が流行り歌にかなり影響すると、
教育に対して無責任にも、そういう思いに達しました。

丸谷才一がすでに30年前に、日本語教育について、かなりの批判を下していましたが、
僕らの(自分も含めて)絶対的な言葉の知識量は、昔に比べて確実に減ってきていると思います。

おらがうっちんだら みちばちゃいけろ
とおるひとごち はなあぐる
はなはなんのはな つんつんつばき
みずはてんから もらいみず

と言っても何の事だかわからない。
言葉の中に情緒を感じ得なくなれば、「自分は弱い」とか、
「君のことが好きだよ」とか、他人の日記みたいなことに共感するしかなくなる。

古い歌には流行り歌とはいえ、もうちょっと情緒的な言葉が、使われていたと思いますが、
自分も勉強不足と思いあわてて、詩集などをひも解いたりしている今日この頃です。

 「みちばたの 名も知らぬ花が…」と歌う前に、
花の名前ぐらい調べなよ、と思うのですが僕だけですかね?


夕方になると
白いかもめの群が
隅田川の方を指して渡つてゆく
空の澄んだ日は
くっきりと浮彫りにされて
優しいつばさの音まで
はたはたときこえて来る
毎日のやうに規則正しく
夕方になるとそれが見られる
いつも一日の仕事が終わって
庭で休むとき
はたはたと渡つてゆくのを見る


これは室生犀星です(^^;)
恥ずかしながら、自分もミュージシャンとしての義務を果たしたく焦っています…。

2010年8月28日土曜日

8/28

昨日は、UHUにて、埼玉よりミュージシャン「ヤマザキヤマト」さんをお迎えしてのライブでした。

出演は
1.黒木翔太      古いブルースや、カントリーの弾き語り。意表を突く選曲です。  
2.おざわりお     ピアノ弾き語り、オリジナル。素敵なかわいらしい詩の魅力がありました。
3.丸山研二郎    自分はどう聴こえてるのかわかりません(^^;)
4.ヤマザキヤマト  世にも珍しいパーカッション叩き語り。癒しのパワーを深く感じます。
5.青田ケンイチ   言わずもがな。。

一人ひとりは上手でも、
同じようなアプローチのミュージシャンが何人も出てくると仕方なく、飽きてしまったりします。
ここまで個性派がそろうのは珍しいんじゃないでしょうか?

みんなそれぞれ個性があり、それに技量も伯仲し、
最後まで飽きずに楽しめたイベントだったと思います。

来てくれたみなさん。
ありがとうございました。
多謝。

2010年8月27日金曜日

8/27

うちの裏の「チュピチュピの森」の林道がコンクリート舗装されてしまいます。
なんだかとてもかなしい。

予算拡充のためでしょうか。
農家のトラックすら通らないような道を舗装して何になるというのでしょう。

実家の裏の道もそうでした。

民家すら一軒もなく、人も犬の散歩でしか通らないような道なのに、
せっかく素敵だった土手や、カエルやイタチたちが生活していた川のほとりが、
草ひとつないコンクリートにかわってしまいました。

僕の大好きだった、2本の栴檀の木も、その際、車が通るのに枝がじゃまだからという理由で、
全部根こそぎ抜かれてしまったのです。
そこで生活をしていたので一番わかります。車なんてうちの車以外通りません。

8/26

今日は「マキタさんとミッちゃんトコ」で演奏でした。
お客さんはみんな、よかったよと言って帰ってくれましたよ。

しかしライブには、楽しかったなーというライブと、
ちょっと調子悪かったな、というライブとありますが、
どっちともいえるライブでした。

○お客さんの聴きたいものを、提供する。
○自分の好きな曲を、聴き手の共感できる技術、タイミングで演奏する。

なかなか難しく、相反するけれども、並行して体得しなければならないことだと思いました。

演奏中に落語の、
「芸人に上手いも下手もなかりけり、行く先々の水に合わねば」
という歌をふっと思い出しました。


今日は平日で、街はひっそりしており、帰り道、静かな通りをとぼとぼ歩いていると、
やさしいような照れくさいような、誇らしいような、不思議な感覚にとらわれました。

うちに帰ると、昨日シャボテン公園で買ってきた、新しいサボテンたちが、
すっかり植木鉢に植わっており、出迎えてくれました。

おかげさまで今日も、いい演奏ができたようです。

2010年8月26日木曜日

8/25

今日は、少し特別な日でしたので、ちょっと遠出をし、伊豆へツーリングに行きました。
途中で「シャボテン公園」に立ち寄りましたよ。

ただの観光地と侮るなかれ。その博物性に感動をおぼえます。
世界中から集められたサボテンは、多様で、デザインも興味深く、素敵なものばかりでした。

目玉は樹齢(?)160年の「金鯱(キンシャチ)」という巨大なサボテン。写真一番上。
強烈なデザインですね。(写真のものは50年ぐらいだそうですが…)

植物とはいえ何となく愛嬌があり、それぞれに性格があるような気がして、
かわいく思えます。
もちろん、サボテンだけじゃなく、どんな植物もかわいいです。

僕らの隣にいた若いおねえさんが、いろんなサボテンや動物を見て、
グロテスクなものには、しょっちゅう「うわ、気持ち悪!」と連発していましたが。
自分が見ず知らずの人にいきなりそう言われたらどう思うんですかね。。

言葉はわからなくても、気持ちは伝わるものです。
僕はかわいいと思っていたのだけど…。

「観るものは観られるもの」だと教えてあげたくなりました(^3^)

そういえば、世にも珍しいサボテンを見つけましたよ。
何でも静岡原産でギターを弾きながら歌うサボテンとか?
 どうでもいいですか。


2010年8月24日火曜日

castanopsis

曲を仕上げました。

「castanopsis」というタイトルで、
いろいろ移り変わる風景の中に木が立っている、というようなイメージの曲です。

最近、どんどん新しいメロディーが出てきます。
聴く人がどう思うかは別として、
今までの自分の曲にはなかった、新しい面を発見しています。


ひとつ新しい活動をすることになったことが、張り合いになっています。
“静かなギター”荒井豊さんとのギターデュオです。
ジャズ、インプロビゼーション、新しく懐かしい空間音楽(←これは、クリシェですね。)
素敵なバンドになればなーと期待します。。


夕方はもう秋の風でした。
かなたの打ち上げ花火が、何となく名残惜しそうにしてました。


今日の夕飯に、近所の蕎麦屋で晩酌をしましたよ。

蕎麦屋でのむというのも、なかなかオツですね。
生意気にも、なんだか大人になったような…。

まだまだ修行が足りません。

8/24

久々に作曲三昧の日々をおくっています。
あたらしい試みに、目標を立てました。

1 暁光Ⅱ                    
2 朝の光に      
3 螺鈿(仮)
4 White
5 タイトル未定1
6 castanopsis
7 Egretta alba
8   五月雨と緋色の山
9 残照~夜

タイトルから先に決めるというやり方は
初めてですが、
やってみると意外に面白いです。

あとは設計図を描いてみます。
こういうことをやると音楽そのものから、
思考が離れていきます。

でも、だんだん補助輪が取れていく過程も
いいものです。

今日は、「castanopsis」を完成させます。

2010年8月23日月曜日

8/23

今日は猛暑でした。

しかし二十四節気では「処暑」といって暑さの収まる季節なのだそうです。
なるほど、もう夜になると虫が鳴いて涼しさが傍だってきます。

春が夏になり、秋になり、冬になったり。
朝が昼になり夕になり夜になったり。
そういうことはとても素敵だと思います。

今新しい楽曲集の構想を練っていますが、そんな移り変わっていく季節の様と、
そこに佇んでいる木をモチーフにしてみます。

その手法としてギター、2本による対旋律を考えているのですが、
僕は弦楽器しか弾けないので、ピアノが弾けたらな~と思いました。

8/22

昨日の話。

久々にたのしい演奏を聴きました。

UHUでチケットのモギリのアルバイトをしてきましたが、
東京からとても素敵なバンドが来ていました。

おそらくスタジオミュージシャンの3ピースバンドという感じですが、
皆、すご腕にも関わらず、テクニックのひけらかしもなく、
それをお客さんを楽しませるということに、効果的に使っていました。

しかし、あのビジュアル系バンドのようななりで、グラムロックのような演奏で、
カントリーのような、スパニッシュのような速弾きテクのギターに、
アニメソングのようなオリジナルに、ジュリーや、尾崎紀世彦のカバーに、
劇団タッチのMCはなんだったのでしょう。


1時間半ぐらいやったけど、全然飽きませんでした。
それにアンコール2回というUHUではめったにない珍事(?)。

自分はお客さんを笑わせたり、踊らせたり、という楽しい演奏はできないけど、
見習わなきゃいけない部分がたくさんありました。

「あーいい時間をすごした。」と実際思ったわけですから(^^)

2010年8月22日日曜日

8/21

大気が曇ってすこし湿っており、昼間の暑さのわりに、すずやかな夜です。
こおろぎが歌っています。

もう秋になろうとしています。


今日は、「フォークテラス海風」でライブでした。
何かが少しよくなったような、手ごたえを感じました (自己満足でないことを祈ります)。
正直楽しくうれしい演奏だったのです。

実は今日のライブは、ほとんどカバーの演奏でした。
先述のEgberto gismonti の「Palhaço」という曲をはじめてライブにかけました。


僕が前に共演したあるギタリストは、
かつては作ってはいたけれど、今はオリジナルを全くやらないという人でしたが、
人の曲でも、自分の曲のように好きなものを、そのように演奏するんだと言っていました。
 なんて素敵なんだろうと感動しました。そして実際彼の演奏はすばらしい。

変な例だけれど、スポーツの試合で、個人の記録よりもチームの勝利が大事。
という言葉をよく聞きますが、人の曲だからとか、自分の曲だからとか、
何の思いを伝えたいとかそういうことを言う前に、ライブ全体を考えて、「今日来てよかったな。」
とお客さんに少しでも思ってもらえるような演奏をするのが、一番大切だなと思いました。

カバーをやるから偉いなんていうつもりはこれっぽっちもないけれど、
僕にとっては自分の思いだけ押しつけるということが最も辛いのです。

もちろん自分の曲の表現、アイデアの探求もしたいですが。
僕はそれだけじゃなくて、技術的に至らなくても、やっぱり音楽ぜんたいを愛している。
と思ったのであります(^^)

だって素敵な曲が世界にはいっぱいあるじゃないですか♪

2010年8月20日金曜日

8/20

今日はライブハウスUHUにて、「ZilL」と「鈴木健太郎」さんの2menライブです。

僕はZILLBANDとして、参加します。2menじゃないじゃん(^3^)
バックバンドはいいか。。

そしてZilL君の新しいCDの発売開始記念日ですよ。
素敵な音源に仕上がったと思いますので、ぜひ聴いてください!

きっと彼のことだから何年たっても、
「今日は何の日?やだ~まるけん、わすれたの~?」
とか言いそうです。

彼は、僕がほかのミュージシャンと一緒に演奏したりしてると嫉妬するのです。
もうほとんどバッテリーですね。

というわけでZILLBANDもよろしくです。

2010年8月19日木曜日

8/19

今日、食虫植物「ハエトリグサ」君が、
うちにやってきました。
なんということでしょう。

触ると、きゅうに閉じます!
僕の手はハエじゃないぞ(^д^;)/

でもよく見ると結構かわいかったりして。

これでうちのベランダにいるのは、
「すずめうり」「サボテン」「兎耳草」
「ブロッコリー」「ハエトリグサ」となります。
なんてにぎやかなベランダ。

さっき散歩に行ったら、うちの裏の「チュピチュピの森」の林道が工事中で入れませんでした。
きっと森の妖精たちが、看板を立てたのでしょう。

夏祭りの季節だから、中では人間に見つからないように弦楽を奏でているのです。

2010年8月18日水曜日

8/18

「心のバリアフリー」

今日は、車椅子の(本当はこういう風にも説明する必要性はないが話の流れ上…)
げんちゃんの入浴を手伝ってきました。

彼は僕がお風呂をやるときは必ず、何かしら議論をふっかけてきます(^3^)
今日も喧々諤々してきましたよ。

彼は車椅子の障害者という「立場」から本当のバリアフリーを考えています。

僕のお世話になっているライブハウスに、彼は時々遊びにきてくれますが、
ライブハウスは地下にあってエレベーターもありません。

本当なら、全然バリアフリーではない。
でもそこにいる人は、みんなでげんちゃんを抱えて階段を降り、椅子に座らせてくれます。

そこには物理的な段差はあっても、バリアはありません。

すでに障害者という観念から離れているので素晴らしいと思いましたが、
彼は本当にみんなが安心して心を開いて、
しかしあくまで個性を大切に生きていける世の中を模索したいそうです。

そのためには、音楽が必要だといってました(^^)


今は、人と人とのつながりが問題視される世の中ですが、
僕は音楽が具体的に、何かの役に立つとは思いません。

でも無限に人の心に訴えることができますよね。

問題は部分ではなく、全体です。
「花」じゃなくて「優しさの意味」じゃなくて、全体です。
僕はまだ辿りつけませんが、そこに「命のコード」があると思います。

本当に心のバリアが無くなるのは、いったいいつの日になるでしょうね。


今日はゴロゴロ雷が鳴っていました。
恵みの音ですが、降りすぎないことを祈ります。

2010年8月17日火曜日

8/17

くるくる豆をひいて、コーヒーを淹れます。
1日の楽しみの1つです。


近所の小学校には、大きな椎の木や桜の木があって、とても素敵です。
今度の自主製作の音源はやはりその辺のテーマでいこうかな。

それはいいのですが同じ学校には、
「ヘンなおじさん 甘い言葉は 危険なサイン」 と書いた看板が、貼ってあります。

確かにいろんな危険っていたるところにあるんだけど、
なんか最近、あまりにも潔癖な感じしません?

はじめてあった子供に、「この変質者だれ?」
とか言われると、もっと他に教わりかたがあるだろ!と言いたくなります。

8/16

うちの相方が、10月に大須賀町のアートイベント、「ちっちゃな文化展」に参加するので、
今日、下見に付き添って行ってきました。

いろいろの、芸術家、音楽家などが出展、出演します。

そのあと、浜松の障害者支援の事業所「レッツ」に行って、知り合いの展示を見てきました。
僕は、なんだかああいうところにいると落ち着きます。
前の仕事がらもありますかね(^3^)

とっても楽しかったです。


実は最近、音楽、芸術、その他、ほんとに街の趣味レベルの活動に対してまで、
「アーティスト」という「称号」が使われることに関して、なにかこう…書こうと思っていたのですが、
考えている間に、某ライブハウスのBOSSがさきにブログに書いてしまいました。

真剣にアートというものを考えている人には、きっと賛否両論あるでしょう。

実際、僕も所属事務所ではそのように呼ばれます。
「僕はアーティストじゃない。」
と、わざわざ言いませんが、そう思っています。

「アート」って調べてみるとそもそも、語源はラテン語の「技術」という意味なんですってね。。
「アーティスト」は「技術者」ということですか。

だったら、何かの技術を駆使している人は、別にアーティストという呼ばれ方をされても、
問題ありますまい(^^) 大工の親方だってアーティスト。

でも言葉には魂がこもりますから、おそらくアーティストという呼び名に、
違和感を感じるのは、語感の問題だと思います。

技術ったって技術の求道って、生半可なことじゃないと思います。ノミ研ぎ3年。

アーティストという言葉が商品名になってしまった。
 ほんらいの意味から離れているのです。

僕が許せないのは、なんにでも流行りの呼び名を当てはめようとする、語彙力のなさと、
一人前の「技術(またはそれをもてる可能性)」すらあるかどうかわからないのに、
アーティストと自称する謙虚さのなさ、他称する審美眼のなさです。
(自分にそれらがあるかどうかわからないけど、ないと思うからこそ判断も慎重になります。)

だから表面上の行いだけじゃなく、ほんとに美しい、
人のためになる人生そのものを送ってる人をこそ、
堂々とアーティストと呼びたい。それは生きる「技術」だと思います。


ミュージシャンはもっと重いです。
ミュージックの語源は、ミューズという音楽の神様です。

神に通じる所業だとわかっていて、それでも自分のことミュージシャンですって言えるかな?
仕事の説明しなきゃいけないからそういう意味では言うけど。


大須賀町はいい街ですよ。昔からの家々があって。
人もみなやさしいです。

2010年8月15日日曜日

8/15

今日は終戦記念日でした。


僕のおじさんは、浅草で戦争体験の語りべをやっています。
東京大空襲のときにその真下にいたので、よくそのことを話してくれます。

父は、埼玉に疎開しており、その時のことを話してくれます。

母は戦争のさなかに東京から京都へと移り住みましたので、そのことを話してくれます。

僕の身内は、みんな玉音放送を聞いていたのだなあ。
それぞれの人生にいろいろの思いがあったのですね。


今日、街路樹に、小さな子供の木が植えなおされているのをみて、ふっと詩想がわきました。

僕、巨木大好きなんですが、日本一の「トチの木」というのをこないだ見ました。
その近くに、ちょっとだけ小ぶりの、おばあさんの木がいたので、老夫婦です。

それから、双子の「シイの木」。

今日は親子の、あれは何だろう「ナンキンハゼ」。


木の大きくなる月日を、感じることができます。
ただそこにあるだけでいいみたいですね。

無理に音出そうとしなくたって、みんな自然に風に揺られてさらさら鳴るのです。

その音だけは美しく思います。

2010年8月14日土曜日

8/14

今日はうちのすずめうり君に花が咲きました。

結実の秋を思わせます。

高速道路の音が遠くに聞こえて、人の活動を感じます。
茶畑は眠りに落ちており、静かです。


音を出すということは、どんな些細な音でもその責任を伴っていると思います。

この間、うちの近所で、車のクラクションを、
15分ぐらい最高音で何度も鳴らし続けていた人がありました。

おそらく、駐車車両で道が通れなかったとか、
自分の駐車場にほかの車が止まっていたとかの理由だと思いますが、

もう怒っちゃってどうしようもなくなったんでしょう。
そんなんじゃ何されるか怖くってだれも出てきませんので、いつまでも解決しません。

まてよ、何か危険なことがあって助けを求めているんじゃ!?
とも思わされました。
でも音は明らかに怒っている音でしたけどね。

その人はどんな理由があるにしろ、
自分のために、まわりにとてつもない不快と、心配の種を与えていることに、
気づいていないか、気づいていても自分を優先するのです。

きっといつか近所の不快な評判の責任を自分で取るんだな、と思いました。

そんな風な音楽をやっているミュージシャン時々いませんか?

あ、僕のことかな?

2010年8月13日金曜日

8/13

今日は短期アルバイトをしてきました。

倉庫内軽作業で、任天堂DSとかPSPとかの付属パーツの出荷の仕事。

最初は、
「おお!これが何とかの、充電のコードで、これがコントローラー(格闘ゲーム用)か!」
とか感動していましたが、だんだん商品番号しか見なくなりました。

感動は薄れるものです。


よく、富士山なんて毎日見てるから、もう何とも思わんよ!
なんて言う人がいますが、それは自分はそうなったことがないです。

数ある名勝の地でも、結構な確率でそういう人に出会いますが…。
本当に何にも思わないならそれはそれで、かえって幸せなのかも知れませんね。


僕は性懲りもなく、はじめて録音した音源をとってあります。
絶対誰にも聴かせませんけど。

何かに感動したいと思ってるんですかね。どこかで。

2010年8月12日木曜日

8/12

台風が今年はじめてやってきました。
茶畑の、扇風機がぐるぐると回っています。

誰もかれも不満そうです。
ちゃんと仕事として回りたいでしょうね。


今度のライブのために、Egberto Gismonti の「Palhaço」という曲を練習してみようかと思います。

Palhaçoとはポルトガル語で「ピエロ」という意味だそうですが、とても美しい曲です。



ところで手回しのコーヒーミルが最近、母から送られてきました。
喜んで、豆を挽いています。

何かお返しをしなきゃ。

このところは、母の手荒れのために無添加の食器洗剤や、
石けんなどを贈るのが、常になっていました。


そういえば子供のころ、
親孝行のつもりで「マッサージ券」なんてのを作った記憶がありますが、

それを実際つかった記憶ってないですね。

2010年8月11日水曜日

8/11

午後の水泳の授業で小学校の子どもたちが騒いでいます。
陽ざしにサボテンも喜んでいます。
かわいいものです。


水景のCDがもうすぐインターネットで買えるようになります。
現在交渉中。
試聴もできるようになりました。(出来ないぞ!?とか問題ありましたら教えてください。)


今日は練習をしたりライブの営業をしたりで、何にも外に出ていませんので、
ちょっとコーヒーを飲みに行こうかな。

10月からは忙しそうです。レコ発もありますし。
福井、富山、石川、東京もツアーします。

また告知をします。

2010年8月10日火曜日

8/10

山のほうには、薄墨の雨雲がもったりと乗っかっていますが、
うちのほうは晴れています。

台風が来ているようで、「風の音にぞ驚かれぬる」この頃ですね。

音楽のほうも、いろいろ少しずつ進んでいます。
 新しいCDの曲目は…。

1  光の雨の国
2  こんな景色は
3  二人生きてくラブソング
4  栴檀の花
5  Blues
6  ひなたの君は
7   河の水
8  Aquarius
9  インストタイトル未定
10 天使の歌
11 いたわりの歌
12  組曲 夢のわ
13 Travessia
14  Sou voce
15 しあわせの歌
(順番未定)

という感じです。

中にはビックリアレンジもあります(^3^)

レーベルからの公への発売の裏で、
ひそかに自分だけの音楽を録音して、CDにしようかと思います。
今回はみっちりとしたギターものの曲集を作ろうかと思っています。

対位的音律軸から見た、和声への、融合願望です。
深意はありません。。

2010年8月8日日曜日

8/8

今日は久々の雨です。
うちは静かなところなので、いっそう雨音がよく響いて聞こえます。

♪ 雨降りお月さん 雲のかげ

カエルたちが騒いでいるので、にぎやかなお嫁入りですかね。


最近、「朝の光に」という曲を作りました。


山なみは とけず あえかなみどり
薄明 蒼天 朝のつゆ 光とともにしずかに落ちる

すずめうりの つるは わかやかにのびる
行雲流水 空の道 光とともにしずかに萌える

されどわが こころ あえかなみどり
一劫 二劫と 指おって やましさまでもしずかに燃やす

 

命のコード

僕は高速道路の近くに住んでいます。
最近高速道路では事故が多いらしいです。

先日は夜中にヘリまで飛んでいました。

家の隣には茶畑が広がっています。
静かにカエルたちが鳴いています。

属さないものと属しているものが、動と静の二つです。
壁には地下深くからやってきたツタが、這っています。

ミュージシャンは「命のコード」を、その手で弾き出さなければいけないと思います。
自己表現や、限定された良識ではない、しずんだり広がったりしている、自然の景色。

さっきまで音の大きなライブハウスにいて、
帰ってくると、そのような言葉が浮かんできました。

うちの裏には森があり、僕たちは、「チュピチュピの森」と名づけました。
働き者の、架空の住人が、朝になると挨拶に来ますよ。

うちのすずめうりの隣に、ブロッコリーが芽を出しました。

心の中にやましさも潜んでいます。

2010年8月7日土曜日

8/7

やっと静岡に帰ってきました。


石川県から北陸道を通ってきましたよ。
北陸道にはなんてたくさんの名所があるのでしょう。

金沢に始まって、白山、加賀、あの小浜(大統領)市、あの「もんじゅ」、
若狭湾、伊吹山、永平寺、関ヶ原。

どこも美しいですね。もんじゅ以外は。

でも敦賀の山はきれいです。夕日に照り映えると、ジーンと感動します。


今日はUHUでライブです。
ジルバンドのギターとして出演します。
ジル君を有名にしなくてはいけません。
美しいギターを弾いてきますので、みなさんごひいきにm(--)m


うちのすずめうり君がだいぶ大きくなりました。
秋になると、赤と白の縞しまの模様の実を付けるそうです。
しづかな息吹きを感じます。



ひと段落

録音が終わりました(^0^)=3


あとは、遠隔地録音などの、パートが入ってくるのを待って、
ミックス、マスタリング、ジャケットデザインなどの、いくつかのプロセスが残っています。

8月終わりの発売と告知していましたが、ちょっと間に合わなさそうです。
ごめんなさい。。


今日は、スタジオのとなりの飲み屋さんの面々と、打ち上げをしました。
ミニライブをして、花火をやりましたが、花火なんて何年ぶりでしょう。

その後はみんなで、昭和フォークの大合唱。
やはりどこへ行っても、やることは同じですね。
最後の歌は「落陽」でしたよ(笑)

ほんと、なんの心配事もなく、面白い話に大笑いをし、
ただただ楽しい夜を過ごさせていただいたのです。



僕は一応プロとしてこれから活動していくことになるのですが、
有名になりたいわけじゃなく、それを使って必要以上にお金儲けがしたいわけじゃなく、
(お金は必要ですから、ほんとにほんとに努力します…。)

人助けになるという考え方も、何か責任感がなく信用しません。

音楽がやりたいといったって、その何をやらんとするのか、
ほんとに自問自答する日々です。

なんか、「自分探しの旅」みたいでイヤだな…。

仕事としてやっていくならば、自分がどのようなジャンル、スタンスで活動をするのか、
ある程度明確にしなくてはいけないからです。

多くのミュージシャンがそうであるように、自分もその存在感を、
もてあましているのかも知れません。

とにかく音楽の音楽そのものの中の、
美や心意気に関してだけは、したたかでいたいと思っています。