3、モンゴル草原マラソン
もうずいぶん前から行われているらしい、日蒙共同企画「モンゴル草原マラソン」に参加しました。
モンゴル人、日本人入り乱れ、1、3、5、10Km、ハーフ、フル、とクラスに分かれて草原の中を走るという大会。
ハーフ、フル、の1等賞には「馬」1頭が贈呈されます。日本人がとった場合どのように持ち帰るのか。
幸いにも(?)今回は、日本人の優勝はありませんでしたが。
僕は5kmを走りましたが、何だか信じられないぐらい空間が広くて、自分がギュッと小さくなった感じがしました。もうどうなってもいいので、このまま空の中に消えていきたいような気持になりました。
モンゴルの式次第は非常に長い。
すべてのクラスの1~3位の表彰のほかに、日蒙それぞれの最年少賞、最年長賞、毎回参加してるで賞、いろいろ貢献したで賞、などなど沢山の表彰があり、
それが終わると、伝統舞踊、モリン・ホール(馬頭琴)、オルティン・ドー(長唄)、ホーミー、の公演があり(これは本当に面白かった。特にオルティン・ドーは一度生で聴きたいと思っていたのです。)、やっと終わったと思ったら、感極まったモンゴル人のおじさんが出てきて、喜びの詩を朗読し、長~いハーモニカの演奏を聞かせてくれるのでありました。
Urtiin Duu
http://www.youtube.com/watch?v=1Vr-QiYDHJk
4、アルハンガイ県にゆく
義姉と、JICAの隊員さん、ガイドのアルタンさんと計7名で、ウランバートルを離れ、キャンプに出ました。
ウランバートルから車で8時間、ハラホリンに到着する。かつてチンギス・ハン時代「カラコルム」と呼ばれ中国から、東ヨーロッパまでを支配した大帝国の首都でありましたが、今は小さな街と、遺跡が残るのみ。
歴史というものは不思議であります。かつては日本にも攻め込んだ、蒙古民族の栄枯盛衰。
チベット仏教寺院で、馬乳酒(アイラグ)をふるまわれる。これがうわさに聞いた馬乳酒!
お味のほうは、日本人にとっては、何ともはや、今まで体験したことのないお味、しかし、飲むごとに舌がなじんできて、ん、ひょっとしてこれは、場合によってはうまいのではないだろうか、というようなことも感じないでもない、そんなお味なのでした。
お椀いっぱい飲み干すと、お坊さんは「グッジョブ!」と英語で言ってくださった。思わず「センキュー」と言ってしまった。
ハラホリンは、広大な遺跡群であり、その一つ、「ハル・バルガス遺跡」という所にテントを張って一泊しました。
たき火の燃料は、なんと馬糞。侮るなかれ、馬糞は草がきれいに固まって乾燥し、その煙はかなり性能のいい虫よけになる、理想の燃料なのであります。
馬糞の火で、ハムを焼いて食べる我々。
夜は信じられないほどの星のシャワーでした。あんなに素晴らしい星の海を僕は今までに見たことはなかった。
夜中、僕たちの10mぐらい近くまで、ヤクの群れが近づいてきて、じっとこっちを窺っていた。こちらもじっとあちらを窺うと、静かに一番大きなオスが動いたのをきっかけに去って行きました。あたりは全くの静寂。たき火の音とヤクのざわざわした足音だけが響くのでした。
そして遠くで時々、馬のいななく声が聞こえました。
チベット仏教の密寺、トッフン寺院にゆく。
標高は2200m。
馬に乗って、頂上を目指し、最後は岩をよじ登ってご本尊にたどり着く。
恥ずかしながら僕は初めて馬に乗りましたが、いきなり一人で乗ってみな、と補助輪を外されてしまいました。教えられた「チョゥ!」という掛け声を上手に使えるようになると、よくしつけられておとなしいお馬だったのもあってか、ぽっくりぽっくりと馬は小走りに歩いてくれました。
日本ではありえないが、モンゴル人はいい加減である。
しかしそのゆったりさが、旅人にとっては、なんとなく心地よかったのであります。現地で働く日本のみなさんにとっては、まあある意味それは仕事の妨げにもなって、まあ大体の愚痴のタネなのです。これもまた愛すべき文化の違いかもしれません。
つづく
え?まだ続くの?
2 コメント:
モンゴル旅行、楽しんでますね~!
By ジョージ浜口
ジョージさん。
本当に楽しくて、いろいろなことが勉強になりました。
またお会いできるのを楽しみにしています(^^)
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