読み手はSPAC(静岡芸術劇場)の俳優さんでもある、いとうめぐみさん。
芥川の短編小説はいろいろと読みましたが、芋粥という話は何だかつかみどころがない・・・、と思っていました。
時は平安朝時代。容姿の悪い官吏が、芋粥というものを飽きるほど飲んでみたいという秘かな欲望を抱いていた。
ところがそれがひょんなことから叶ってしまう。
いざ、大量の芋粥を目の前にすると、とても食べられなくなってしまい、その叶わない欲望を心に抱いていたころの方が幸福だったと思い返す。
よくよく考えていれば、立派な仏教説話なのですね。
ありのままの自分を素直に受け入れることが大事、とか、理想が簡単に叶ってしまえば、時として自分自身をも失ってしまう、とか、そんな結論になるのだろうと思いますが、もちろん物語はそこまでは触れていません。
それがお話の面白いところです。
今回は、いとうさんとかなり細かく打ち合わせをして、綿密な作品ができました。
これを限りでなく、また二人でいろいろな場所でできたらいいなと思います。
やはり法事で演奏するというのは、独特の緊張感があります。
練習場所を貸してくれた清水のお寺、東壽院さんのご住職は、僕たちのような朗読や音楽であっても、法要の中で行われることは、それはそのまま仏さまの言葉になるだろうと言ってくださいました。
何処をどう探しても、自分の中に仏性は認められませんが・・・。
人間悉くどこかしら足りないもの。
いろんな工夫をして、良かれと思うことをやっていくべきだということでしょうか。
毎年このような機会を与えてくださる、顕光院の皆さま、プロデューサーびやぼんさん、関係者の皆さまに、あらためて感謝します。
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