2012年4月14日土曜日

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僕は工芸、家具、陶磁器などの類は無条件に好きなのでありますが、不勉強で、知らないことばかりなのです。

先日、東京は目黒にある「日本民藝館」に行きました。





















「民藝(民藝運動)」とは、それまでは注目されなかった手仕事の日用品に、「用の美」という新たな価値を見出そうという運動のことで、先日はちょうど、イギリスの「スリップウェア」という種類の陶器が主に展示されていました。

「スリップウェア」とは、陶器の上にスポイトのような道具で、やわらかい土を流して模様を描いてゆく技法のことです。一つ一つ手仕事ゆえ、大量生産に押されて次第に姿を消していってしまったそうで、これがバーンと何だか心にきてしまったのです。



昔のモノには、ひとつひとつに深い意味が込められているような、感じがします。詳しい背景を知らないので、はたから見ていてそんな「感じ」がするだけです。

しかし今のモノには、必ずしもすべてそうではないけれど、沢山売れているものにほど、コストや利便性だけの、軽々しさを感じることがあります。

そうやって、古き良き文化や心ほぐれるような美に触れた時の、郷愁や感動さえも、薄い紙に印刷された、安い商品のキャッチコピーになってしまい、見わけがつかなくなってしまうのです。


音楽に置き換えてみれば、名声と内容は必ずしも比例しないし、知りもしないノスタルジーを歌うことは、よりあざといことのように思います。

見方を変えれば、そのあざとさの中にも、ある種の美は見出せるのですが。

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