何気なく流れていた音楽を聴いていたら、
ある曲の詩の中に「A面」という言葉が出てきました。
A面B面とは、当時は新しい響きだったはずですが、
今やレコード時代の情緒ある言葉だと思います。
現代でいえば「カップリング」ですが、
まだ歌の情緒としてはいまいちですね。
最近の流行り歌を聴いていると、
携帯やインターネットなどに関連する言葉も、
よく登場するようになりました。
「君からのメール」とか、「夜中の着信音」とか、
「携帯の充電気にしながら」とか、「待ち受けの写真」とか、
確かにリアリティがあって、
即座な共感を呼ぶには有効かも知れません。
しかし生々しすぎて、その向こうにある世界を空想したり、
言葉以上の深い思いを感じたりできないことが多いのです。
言葉は、人々に長い間使われて、
段々とそこに郷愁が加わったりしながら、
言葉としての意味を深めて行くように思います。
君からメールよりも、
君からの手紙のほうがやっぱり読んでみたいのですが、
手紙もめっきり書かなくなりました。
「君が文来たりて まみえたけれど
かひなければ おぼつかなし
ともにとりあえし手 あくがれざれば
かげあかけるところへむかひてゆく
君ひとりにあらず あな 君やむごとなし」
古ければいいってもんじゃないの。
ある曲の詩の中に「A面」という言葉が出てきました。
A面B面とは、当時は新しい響きだったはずですが、
今やレコード時代の情緒ある言葉だと思います。
現代でいえば「カップリング」ですが、
まだ歌の情緒としてはいまいちですね。
最近の流行り歌を聴いていると、
携帯やインターネットなどに関連する言葉も、
よく登場するようになりました。
「君からのメール」とか、「夜中の着信音」とか、
「携帯の充電気にしながら」とか、「待ち受けの写真」とか、
確かにリアリティがあって、
即座な共感を呼ぶには有効かも知れません。
しかし生々しすぎて、その向こうにある世界を空想したり、
言葉以上の深い思いを感じたりできないことが多いのです。
言葉は、人々に長い間使われて、
段々とそこに郷愁が加わったりしながら、
言葉としての意味を深めて行くように思います。
君からメールよりも、
君からの手紙のほうがやっぱり読んでみたいのですが、
手紙もめっきり書かなくなりました。
「君が文来たりて まみえたけれど
かひなければ おぼつかなし
ともにとりあえし手 あくがれざれば
かげあかけるところへむかひてゆく
君ひとりにあらず あな 君やむごとなし」
古ければいいってもんじゃないの。
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