久しぶりに静岡で僕の尊敬する和楽器バンドの一つ「僖響」と一緒に演奏をしました。
太鼓打ちのメンバーが1人増え、3人になった彼等は、演奏、レパートリーもパワーアップしていましたが、その荷物もパワーアップしていました。
その荷物たるや、大太鼓1、締め太鼓4、平太鼓2、各太鼓台、三味線2、篠笛、銅鑼、銅鑼スタンド、マイク、マイクスタンド、スピーカー、モニタースピーカー、ミキサー卓、ほかコードや、小物、いす、などなど…。
それに今回は、僕のギター2本と、ギターアンプ1が加わり、30分強の演奏のために、てんやわんやの大移動でありました。
いつも思いますが、こういったコラボレーションはとても難しい。
演奏する側の創作の満足感が、必ずしもお客さんに伝わらない場合も多いです。
三味線や太鼓の持つ純粋な楽器の特性、それだけを考えれば、ある楽曲に洋楽的な、リズムや和音の要素を付け加えていけば、それなりに形になります。
でも、和楽器だけでなく昔から培われてきた民族楽器には、もっと深い、歴史や人々の思いが込められています。表面的な、音の組合せだけを考えていたのでは、その人々の思いを破壊してしまいかねないのではないかと、いつも考えさせられます。
それでも、新しい形を探っていかなくては、それも形式だけのみっともない伝統になってしまうかもしれません。
大太鼓の音が、どしどしと響いて、ぐっと胸やお腹の奥のほうを気持ちよくしてくれました。
僕もいつかは、ああやって「静」と「動」だけで何かを伝えられるようになりたいな、と思いました。それは一つ、音楽の目指すシンプルな形なのではないかと思います。
今後は、久々に僖響+まるけんの活動がまた活性化するかも知れません。
0 コメント:
コメントを投稿