新しい音源を作るために、
ずっと、音色や、リズムやメロディを通じて、
いろいろな景色が見えてくる音楽を作りたかったのです。
楽器の音は、上手に鳴らせばそもそもすべて、
奥ゆかしい情景を持っていて、
自分や聴き手に新しい「体験」をもたらすものだと思います。
それはどうやら、理想だけで盲進する、
二次的な意味によってこじつけられたものではない、
涼やかでいて、情熱的な、どこか五感の奥深いところで、
今僕の机の上に、障害を持った人が描いたという、
小さなアジサイの絵があります。
まるで小さな宇宙のように、心地のいいバランスと、
少し切なげな色彩を持った絵です。
どれほどの理想や、教義を言葉にするよりも、
キーボードトリオ「FlowTide」のベース奏者であり、
同級生でもある、Chujiと打ち合わせをしました。
面白い音源になりそうな気がしてわくわくしています。
ずっと、音色や、リズムやメロディを通じて、
いろいろな景色が見えてくる音楽を作りたかったのです。
楽器の音は、上手に鳴らせばそもそもすべて、
奥ゆかしい情景を持っていて、
自分や聴き手に新しい「体験」をもたらすものだと思います。
それはどうやら、理想だけで盲進する、
二次的な意味によってこじつけられたものではない、
涼やかでいて、情熱的な、どこか五感の奥深いところで、
体験されるもののようなのです。
今僕の机の上に、障害を持った人が描いたという、
小さなアジサイの絵があります。
まるで小さな宇宙のように、心地のいいバランスと、
少し切なげな色彩を持った絵です。
僕は、今昼間にたずさわっている福祉の仕事を通じて、
人が何かを得てゆくためには、どれほどの理想や、教義を言葉にするよりも、
ほんの一瞬の有意義な「体験」によることが、
どれほど大切なのかを知りました。
出来うる演奏を思うと、そんな音楽を作りたいと言えば、
もちろん未熟な自分には、大言壮語もはなはだしい話です。
つまり、そのような理想に盲進する、
心の澱のようなものであります。
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