2012年3月30日金曜日

3/29

桜がちらほらと咲き始めたと思ったら、あっという間に満開になっているのがあります。
あんまり早く咲き始めると誰にも見てもらえないぞ、と思うのですが、それは人間の勝手ですね。


今日は、ハンマーダルシマーの荒井さん、ピアノのまゆちゃんと3人で演奏するために作った曲を練習しました。

今までは、仲間のスキルに任せるところを必ず作っていましたが、今度の曲は、自分としては初めての試みで、かっちりと3人のフレーズを楽譜に書いてみました。

自分は、一部の世界の「キー(調子)はこれであとは適当ね。」というようなことに慣れすぎて、どうも演奏に対してわがままになっていたなあと思います。(もちろん決めごとや控え目な演奏が出来ないわけじゃありませんけど。)

即興演奏、というのは難しいようで簡単なようで、不思議な魅力を持った世界です。
ある人には、気楽に考えて好きなように弾けばいいよ、と言え、またある人には、考えているほど簡単なものじゃないよ、とも言えます。

押す人は、引かねばならないし、引く人は押さねばならない。大事なのは扉を開けようとすることよりも、こちらにいる自分もあちらにいる自分も等しく連絡が取れていること、なのかもしれません。

そんな風な、自分への訓練としても、まあ一度こんな小品も作ってみようということなのであります。

2012年3月28日水曜日

3/27

生活の中で、いちばん文章が読みたくなる時間、それはトイレに座っている時間であります。

僕は、普段はそんなにも読まないくせに、トイレに座ったときだけ異常に何かが読みたくなり、何にもない時は、ポケットの携帯電話のメールを意味もなく読み返したり、「ホー、この洗剤は、界面活性剤(アルキルアミンオキシド)に、グリコール酸(0.8%)か。」などと無駄な知識を収拾しようとしたりしてしまうので、


最近うちのトイレには、「日本詩人全集 昭和詩集(二)」を置いて読んでいます。

僕は小説の方は結構好きなのですが、純然たる「詩人」という人の詩となると、今まであまり読んだことがありませんでした。

個人的な好みもあるので、具体的には書きませんが、昭和詩というとやはり戦争などの影響が色濃く、僕は少しとっつきづらい感じがしています。

と、言いつつもトイレに座った時、2、3編読み、いろいろな作家の想いを胸に覚えて、出てくる習慣になっているのであります。

トイレに座りながら本を読むと、「出」が悪くなるらしいと聞きました。
僕は、まったくそんなことないんだけどなあ。

2012年3月27日火曜日

3/26

今日は、今日は…、昼間に、焼肉を食べてしまいました。

しかも霜降りのお肉を。

何というぜいたく…。

ごめんなさい、もうしません。


誰にわかってもらおうとも思わないが、それぞれにはそれぞれの楽しみがあり、それぞれの悲しみがあります。腹の立つこともあるけど、なんだか誰にも怒れなくなっちゃったなあと思う今日このごろです。

街道のゆきやなぎの花が、今年はずいぶんときれいに咲いているような気がします。

2012年3月26日月曜日

3/25

毎日、帰るのが夜12時ぐらいになって、ブログを更新できずにいました。

忙しくても、何やら心に移りゆくよしなしごとを、書きつける時間ぐらい作らないといけないもんだと思います。

東京に行って、いつも静岡では、「朗読会」でお会いする役者「中山一朗」さんの二人芝居を見ました。「この道はいつか来た道」という芝居です。自分の中にある、生への動機、悲しさ、そして愛情への帰着、そのような男女の織りなす芝居でありました。

「はーとぱる」さんという精神に障害を持った方のための施設で、演奏をしました。
その夜は「マキタさんとミッちゃんトコ」での演奏でした。

昼間の仕事に行って、その夜、ホームヘルパーの仕事をしました。

京都に住んでいる叔母が、体調を崩したので、急遽、京都までお見舞いに行きました。
帰りのサービスエリアで食べた、「じゃがべえ」くんがおいしかった。

先日亡くなった恩人、森下よしひさ氏を偲ぶ会で、ミニライブをし、さっきお疲れ様会が終わって、ああ、やっと家に帰ってきた…。

明日は…、うう、昼まで寝るぞ。

2012年3月20日火曜日

3/19

寒の戻りというのか、花冷えというのか今日は少し寒かったですね。





















ベランダにある、ローズマリーや、外では、こぶしや、椿や、ゆきやなぎや、ほとけのざとか、そんなような花が満開になっています。きれいですね。

しかし女々しい日記だなあ。ひげ生やしたおっさんなのに…。
まあそんなほど、目の楽しみが多い季節になってきました。


最近は、新しいカバー曲をアレンジするのに、悪戦苦闘しています。

なるべく美しいコード進行をしたいと思って、ツーファイブとか、代理コードとか、セカンダリードミナントとか、アッパーストラクチャートライアドとか、そんなのを一生懸命勉強して駆使しているわけです。

え?こんどは理屈っぽい?

2012年3月17日土曜日

3/17

昨日のジルクラブはいい夜になりました。

出演は、鈴木健太郎氏、nu-z(ヌーズ)、ZilLBAND。
僕は、ZilLBANDでギターを弾きました。

特に、nu-zのパフォーマンスが素晴らしくて感動しました。笑わせてくれたり、しっとりと詞を歌いあげて考えさせてくれたり、とてもメリハリが効いています。

ライブでは本当にシンプルなことしかやらないのですが、本番以外の遊びで、彼らがギターを弾いたりするのを聴いていると、複雑な演奏もとても上手で、たくさんの音楽のバックボーンを感じました。

ジャンジャカの弾き語りでも、それしかできなくてそれが限界でやっているのと、たくさんの音楽を知って、それを演奏できたうえで、控え目な力でやっているのとは、その表現力に於いて、ずいぶんと違うような気がします。

もちろん前者は前者で、また違った良さがあるのですが。


例えるならフィギュアスケートの世界大会よりも、ディズニー・オン・アイスとかのほうが感動するんだよなあ…。それは例えになってませんかね。

2012年3月16日金曜日

3/14

今回の伊太利亭のゲストは、満を持して登場、シンガーソングライター「ZilL」くんでした。

ジル君は今回とってもいい感じで演奏してくれました。迫力のあるライブハウスでの演奏もいいけれど、カフェで静かに演奏するのもいいものです。

僕は…、ソロでは久々に、珍しくオリジナルを一曲もやらなかったライブでしたが、そのかわり、個人的に思い入れのある曲をゆっくりと演奏できました。

次回は4月11日(水)。ゲストは、福居八大さんの和楽団「八大’豆」です。
本格的な津軽民謡、秋田民謡を聴くことができます。ぜひお越しください。




今日は昼間、バンドの練習をして、そのあと「LIVEHOUSE UHU」にて、風太さんのイベントに出演するまで、時間があったので、久しぶりに河原に行ってギターの練習をしました。

ずいぶんと暖かくなったものです。

河原はさんさんとしていて、山が春霞に包まれて、きれいでした。
小さな犬が僕の足もとに遊びに来て、また行ってしまいました。

何だか久々に心静かに練習ができたような気がします。

今、映画音楽の「Two for the Road」という曲を練習しています。完成したら、またライブで披露できるのを楽しみに。

2012年3月14日水曜日

3/13

どこかでギャーギャーと、えも言われぬ金切り声がするので、何だろうと外に出てみると、それは茶畑の中から聴こえました。

覗き込むと、急に3匹のたぬきが飛び出してきて、あっちへ追いかけたり、こっちへ行ったり、かみついたり、取っ組み合ったり、大げんかをしているのです。

意外とたぬきって凶暴なのですね。

「こら!やめなさい。」と言ったけど、どうも僕の言葉は通じないようでした。あたりまえか。
たぬき語はどこに行ったら習えるのでしょうか?

今人間の世界では、誰もがその人らしく当たり前に暮らせる社会とか、ノーマライゼーションとか、言っていますが、たぬきの世界ではどうなのでしょう。喧嘩が強くないとやっぱり駄目なのですかね。

僕が部屋に帰った後も、しばらく、ギャーギャーと喧嘩をしていましたが、そのうちまた水を打ったように静かになりました。

2012年3月12日月曜日

3/12

磐田市にある、オーダーメイド家具のお店「折々」さんにて演奏をしてきました。

切り紙作家「栗林早織」さんの個展の中で、「モクセイの音楽」と題しての演奏会です。

素敵な切り紙の作品と、ウォルナットを基調にした家具、それから僕たちの木でできた楽器の生音。自分の音楽は、やっぱり材質に例えるならば、木で出来ているもののように思います。













様々な音楽があれば、それがどんな場所で演奏されるかということも、とても大切なことだと思います。今回は、誰かのうちに遊びに来ているような気分で、とてもリラックスして演奏できました。


今年の、クリスマス前にもまた、折々さんで演奏をさせて頂くことに決まりました。
とても素敵な縁を大切にしたいものです。

2012年3月11日日曜日

3/11

3月10日は、かの東京大空襲のあった日。
今日3月11日で、東日本大震災からちょうど1年です。

改めて、謹んで哀悼の意を表します。

2012年3月9日金曜日

3/9

また急に寒くなりました。

もうすぐ東日本大震災から1年。
明日、あさってと法事のため実家に帰ります。

明日夕方に、磐田市にあるオーダー家具のお店「折々」さんにて演奏をし、その足で浜松へ帰省です。

ライブは「モクセイの音楽」と題して企画されました。
家具やインテリアも、木づくりの暖かみを感じることができるものは素敵ですね。木のほかにも、金属、プラスティック、石、陶器などそれぞれの良さがあります。

音楽には形はありませんが、時折、音の中にその素材感、手触りのようなものを感じることがあります。それを個性と簡単に言ったりするのですが、自分はやっぱり木に近いかなあと思ったりします。

きれいな音を響かすことができるように頑張ります。


■3/10(土)
オーダー家具「折々」
静岡県磐田市大久保10-3
「栗林早織 キリガミ展」内 Special Live 「モクセイの音楽」
出演 丸山研二郎 & 荒井豊
19:00~ ¥1500 (1ドリンク付き)
20名様限定 要予約→TEL:0538-38-5820 (折々)

2012年3月8日木曜日

3/7

今日は、練習の中で、「アッパーストラクチャートライアド」というものについて教えてもらいました。

それは、何かというと…、え?聴きたくない?

まあ、簡単にいえば、ジャズやボサノバをもっとカッコよくやりたければ、おぼえといた方がいいよというコードの理論で、ひとつの決まった和音の上に、また別の決まった和音を乗せてしまおうということでありました。

無意識に使っていた部分もあり、これは知らなかったという部分もあり、ためになりました。

どんなふうに、気持ちのいい和音と、その流れをつくるかというのは、音楽のひとつの醍醐味であると思います。音同士が近づいたり離れたりして、摩擦していく感じ、その中になんとも説明しがたい、美しさを感じる時があります。

そんな音使いを、自由にできるようになったらいいな。

特に自分の使うギターという楽器は、指の型や、手くせなどの「形」にとらわれやすい楽器なので、なるべく既成概念を取っ払いたいと欲をかいてしまうのです。

2012年3月5日月曜日

3/5

雨が降って、風が吹いて、梅の花が咲いています。
いつの間にかもう春になっているので、なんだか不思議な気持ちがします。


歯の詰め物が欠けてしまったので、一念発起して、歯医者に行ってきました。

新しい銀歯を作ることになり、麻酔をして、元の詰め物とその周りの歯をがりがり削られました。

今では当たり前になったけど、そういえば僕が子供の頃は、歯を削るのにいちいち麻酔はしなかったですね。深く削るとものすごく痛くて、「アガガ!」というと、先生に「頑張れ男だろ!」と我慢させられました。

痛いのはいやだけどそういう風なのも(どういう風なのだろ)、ちょっとぐらいあってもいいかな、と思いました。

2012年3月4日日曜日

3/3

静岡は、長田生涯学習センターにて「愛唱歌の会」さんに及ばれし、演奏してきました。

もう8年続いているサークルだそうで、音楽の先生のピアノ伴奏によるレッスンの後、僕たちはいつもの「北街道の唄プロジェクト」メンバー3人で、60~70年代フォークソングを中心にコンサートをさせていただきました。

やはりフォークの力は絶大で、最後まで盛り上り楽しいコンサートになりました。

静岡の「北街道」は、今は普通の幹線になってしまいましたが、かつては清水から静岡まで物資を運ぶために使われた街道で、道の真ん中を運河が流れていたそうです。

コンサートの後、昭和初期、子供だったころにはまだその景色があって、それを思い出して懐かしかったというような感想をくださった方がいました。

静岡も、戦争や、また発展の影響で、古い情緒ある景色がどれほど失われただろうなあと思いました。


コンサートを終え、夜は、プロジェクトの仲間であるハンマーダルシマー奏者、荒井さんと、かねてから仲良くさせて頂いているユニット「凪」のライブがあるというので、今度はお客さんとして行ってきました。

荒井さんは昼夜2部でちょっと疲れていたみたいですが、ダルシマーがいい音を奏でていました。
演奏をしている荒井さんの表情をみて、いつも一緒に音が出せることをとてもうれしく感じた、今日の2つのコンサートでありました。

凪さんの曲たちも僕は大好きで、いつかカバーさせてもらいたいなとひそかに思っています。

形のあるものは当然、時間とともになくなっていってしまうものです。でも、この街に生きている人の心を守っていくのは他ならぬ自分たちなのでしょう。

自分たちの大切な景色が、いつの間にか心のない、色のないものにすり替わってしまうことがないように…、と思うのです。

2012年3月1日木曜日

3/1

Egberto Gismontiの「Circense(シルセンシ)」というアルバムをずっと車の中で聴いています。

ポルトガル語でサーカスという意味のアルバム。
まるでサーカスの道化のようにコミカルな演奏、怪しい雰囲気の見世物、思わずほろりとするような感動的な場面、いろいろな要素が溶け込んだ、美しい音楽です。

最後の曲だけ唯一、歌もので、ずっと通して聴いていって、最後の「歌」を聴くと何故かジーンとしてしまう。1曲目、2曲目と聴いていく積み重ねがあって、初めて生きる最後の「その曲」です。

僕は本物のサーカスも何度か見て、やっぱりそんな風な魅力があって、大好きになりました。

ちょっとでも人前に出るようなことをやっていると、全体の構成や、裏方の動きにもついつい目がいくようになります。出し物の意味としてのつながりや、道具や、演者の都合など、技術的なつながりがきれいに整えられていて、舞台の華やかさと、整然としたバックの動きの関係に感心しました。


音楽の方では、最近は、好きな曲だけハードディスクに取り込んで聴いている人も多いですが、やっぱり、映画や演劇や、それこそサーカスなどの舞台がそうであるように、ちゃんと創作の始まりから終わりまでの意味を、しっかりと汲み取りながら鑑賞したいものです。

自分たち作る方も、見る人聴く人にそのストーリーがなるべく伝わるように、見せかけだけではない、全体の物語をきちんと運んでゆく技術を、高めたいと思うわけであります。

2/29

「空の灯」という曲を作りました。

チャップリンに「街の灯」という僕の大好きな映画があって、それとは関係がないのですが、やっぱり関係あるかもしれません。

やっぱり最後には目は見えるようになるのです。

何にも表現したいことはないので、あえてモチーフを上げるとするなら、うちのベランダから見える夕日のようなことです。

でも、見ているようで見ていないので、何かを表現したとはいえない。そんな曲です。

で、家族などにささげたいと思いました。

いかん、妙にかっこつけたようなことを書いてしまった。
演奏するのが恥ずかしくなってしまう。