2013年8月28日水曜日

8/28 秋の日の反省

先日雨が行くと、空気が澄んで秋の空に変わっていました。

今日は、すっかり秋の香りの風が吹きました。

同じ風なのにどうしてそういう違いを人は感じるのでしょう。


最近気がついたこと。


■余剰

どうもケースに入れて持ち歩くギターが重い、と思っていました。ひょっとして体力が落ちてきたのか…。

しかしある時、ふと歩きながら考えました。

重いのは「楽譜」であったのです。

ギターケースのポケットに入れている楽譜の束を持ってみると、なんとギターよりも重いのでした。

頭にも入っていないのに携行している知識の重さです。


■原因

僕は、SNSというものが嫌いでありました。

半分は活動のためとはいえ、なぜパソコンや携帯にへばりついて、一喜一憂しなくてはいけないのか。

しかしある時、ふと考えました。

僕は、SNS全般ではなくて「ツイッター」というものが嫌いだったのです。

もうとにかくツイッターというもののあり方だけがいやなのです。

中には素晴らしいつぶやきを書いている人もいます。しかし偶然愚にもつかない記事が目に入って、イラッとさせられる確率が一番高いのもまた事実です。

前後の文脈がなくて、しかも全文が直に目に入ってくるからです。

しかし原因が絞られたので付き合い方が楽になりました。


■指先

歌や演奏に感情を込めすぎるのはあまりカッコよくない、と思っていました。

しかし、最近のいろいろの経験の中で、斜にかまえていないで、とりあえず自分の出来るところまでやってみようと思いました。

歌声や音の届く先に、もう一歩手を伸ばしてみる、というような感覚です。

ツイッターの話と似ていますが、ただ大きな声を出すことや、乱暴に弾くことが感情を込めることだと言わんばかりの演奏が嫌いだったのでした。

伸ばした指の先は無限であり、しかしまたそれはただの指先の届く距離でしかないのです。


秋の日の、3つの月並みな反省でした。

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