今夜は、月がきれいです。
周りに大きな笠ができており幻想的な月です。
初めて、月暈(つきがさ)という存在を意識したのは大学の時でした。
夜中に月を見ると、おおきな輪っかが掛っていました。
学校は少し高台にあったので、夜景の中からやってくる車の低く鳴る音が強く印象され、
隔絶された月の存在感にしばし見入りました。
誰にも知られずに美しいものがそこに存在しているということ。
自分と対象とが、「存在」という現象の中で結ばれている。
そこにゴーという街の音が聴こえるので、より何か深く、
自分という摂理、月という摂理を考え始めるのです。
これは現実と、ある神秘的なものとの境界で鳴る音です。
音楽というものが、ある摂理と、他とを結ぶ架け橋になりはしないかと、
淡い期待を抱きます。
すばらしい巨木などを見た時にも似たような感情を覚えるのですが、
これは何と説明したらよいのか…。
僕たちはいろいろの感情に支配されますが、
ただ「存在する」ということへの、大きなあこがれかもしれません。
よくわからなくなってきました…(^^)
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